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札幌塗装工業協同組合青年部会創立10周年記念事業
「国際協力ボランテイアを終えて」

               札幌塗装工業協同組合青年部会 副会長 栗原清昭

1.「できるのか」から「これしか」へ 

はじめに

 「青年部創立10周年記念事業としてタイの貧しい農村の学校に図書館を寄贈し、自分たちの手で塗装してこないか。」  平成10年1月、札幌塗装工業協同組合青年部会(会長・野口優ニットク専務)の役員会でこんな提案がなされた。言い出したのは丸中中村塗装店の中村専務である。「そんなことが私たちにできるのだろうか?」その場に居た誰もがそう思った。  ボランテイアといえば、青年部では過去5年間にわたり札幌市内児童会館の塗装奉仕活動を続けてきている。今度は海外だ。ちょっと飛躍しすぎじゃないだろうか。政府でも援助しているし。でもちょっと待てよ、僕らは観光地以外のアジアのことって知らなすぎるよな。アジアの子供たちは今どんな生活をしていて日本のことをどう思っているんだろう。  議論を重ねるうち、いつしか青年部としてやるべき記念事業はこれしか無いという結論に達したのであった。そして今、私たちはこの事業を成し遂げたことに誇りをもってタイから戻って来た。

一面茶色の風景に覆われ

 平成11年2月20日私たち青年部メンバー11人+中学生1人(野口会長のご子息・優輔君)は関西国際空港を飛び立ち、一路タイへと出発した。約5時間の飛行を終えバンコク国際空港に到着すると、さっそく地元NGO(非政府組織)Fund for Thai Friendsのジャナロン氏の出迎えを受けた。氏は20年以上にわたりタイの貧しい子供たちのために精力的にボランテイア活動をおこなっており、今回の事業の橋渡し役をしていただいた方でもある。私が片言の英語で挨拶すると、とても人なつこい笑顔を見せてくれた。これから3日間寝食を共にすることになる。  図書館を寄贈するプーンサン中学校は、タイ東北部の町ウドンタニから約60Km東に位置するチャイアサンという小さな村にある。現地周辺は最近10年ほどの間に樹木の伐採がすすみ、慢性的な水不足に悩まされている。特に11月〜4月にかけては乾期が訪れ、この間農作物の収穫はほとんどできない。飛行機から見下ろすと、辺り一面茶色い景色に覆われている。まるで不毛の地に来てしまったようだ。  ウドンタニ空港に到着すると、強い日差しが私たちを出迎えた。「暑い」しかし、乾期のまっただ中にあるせいか、南の島に行った時のようなジメジメした感覚は無い。ここで訪問先であるプーンサン中学校の教頭先生の出迎えを受けた。同時に一足先に現地入りしていた北海道地球市民の会・阿部功会長と合流した。会長は私たちの良き相談役として、この事業推進の立て役者でもある。

 

 阿部会長との出会いは半年前にさかのぼる。この記念事業の基調講演をお願いしたのがきっかけである。会長はタイ、ベトナム、スリランカなどアジア各国で里親奨学金制度の支援や学校の環境改善事業などを手がけている。「現地の事情を知らずして本当の援助はできない」「相手が自立できるよう手助けすることがボランテイアの役目」が持論である。私はこの言葉に深い感銘を受けた。それまでボランテイアとは単なる奉仕活動のことだと思っていたからだ。このとき、講演の謝礼として2万円を会長にお渡ししたのだが、会長はこの2万円を元手にある事業をされていた。  タイの農村では乾期になると男性が出稼ぎ(お金は稼ぎ先でほとんど無くなるらしい)に行き、その間、残された女性たちは収入がまったく途絶えてしまう。そこで会長はある村に草木染めの工場(小屋?)を建て、女性たちにその技術指導をしたのだという。今では染め物の生産によって収入が確保され、会長はその村の救世主になっているそうだ。まさに「自立のための手助け」を実践されている。

2.ウドンタニからチャイアサンへ

着いてすぐ塗装をの話が

 ウドンタニは大きな町である。ホテルは立派だし、デパートの屋上には遊園地もある。「う〜ん、本当は結構いい暮らしをしてるんじゃないかな。」ある意味で不安がよぎる。とりあえず送っておいた塗装用資材を建材屋さんに受け取りに行く。コンピュータで資材管理をしている立派な店だ。ところがなかなか目的の資材がでてこない。いやな予感がする。同行してくれた大日本塗料バンコク支社の足立さんがなにやら店員さんとタイ語で話をしている。どうやら店の担当者が不在で、資材の場所がわからないらしい。10分ほどして我が青年部のメンバーが広い倉庫の片隅からその資材を発見した。発見者曰く「箱に日本語で書いてあったから現地の人はわからなかったんじゃないかな。僕らはすぐわかったけど。」なにはともあれ一同ほっと胸をなでおろすと同時に、目的地チャイアサン村に向けて出発した。

 町を一歩出ると辺りの様子は一変した。茶色く干からびた畑と原野が果てしもなく続くのである。川らしい川はほとんど無く、穴を掘っただけの溜め池が点在している。私はバスの窓からビデオで風景を撮影していたが、どこまでいっても変わらない景色のため途中で撮るのをやめてしまった。その間、ショッキングな事実を私たちは知ることになる。「教頭先生からのお話によりますと、今日着いたらすぐにでも塗装作業に取りかかっていいそうです。」私たちの予定では、1日目はゆっくり学校見学でもして2日目から作業、ということになっていたのである。やっていいよと言われて、やらないわけにはいかないのであった。

来る早々に感激にひたる

 1時間ほど直線道路を走ると、バスはようやく右折した。道巾が狭くなる。景色は相変わらずである。そのうち小さな部落が見えてくる。ここがチャイアサン村だろうか。だが、なかなか学校に着かない。舗装が切れ、赤土がむきだしのアップダウンの激しい道路が続く。前方に建物らしきものは見えない。本当にこんなところに学校があるのだろうか。  そうこうしているうちに、バスが右カーブを曲がりきると人影が見えてきた。白い看板が目に飛び込んでくる。「よこそ いらっしゃいませ」日本語で書いてあるではないか(あとで聞くと校長先生が書いたらしい)。ここが目的地プーンサン中学校である。看板の横には100人以上の子供たちが手作りのレイをもって並んで立っている。私たちを出迎えてくれているのだ。しかも今日は日曜日だというのに。ひとりひとり手をあわせてお辞儀する子供たちの姿に、私たちは来る早々感激してしまった。  子供たちの歓迎の輪の中を抜けると、さっそく対面式が始まった。最初に挨拶してくれたのは村長さんだ。とても優しそうな人だが、タイ語なのでまったく意味がわからない。タイ人ガイドのソーポンさんが通訳するが「外人は初めて見た」とか「寝る場所はテントを用意したが、安全には責任をもつ」などと言っているらしい。続いてわれらが野口会長の挨拶。この人の挨拶は日本人でも難解であるため通訳のソーポンさんは頭を抱えていた。でも気持ちは通じているのだろう。大きな拍手で対面式は終わった。

3.子供たちと一緒に塗装開始

教室はどこにあるのか

 ここで、子供たちには札幌から持っていった融けかかった雪と、雪祭りの絵はがきをプレゼント。初めて見る雪に最初はおっかなびっくりだったが、慣れてくると雪合戦を始める子供まで現れた。その素直に喜ぶ姿を見るにつけ、日本の子供たちと比較してしまうのであった。「こっちの子のほうがかわいい」と。  ところで教室はどこにあるのだろう。生徒の人数は200人ぐらいと聞いていたのだが。どうやら柱とトタン屋根だけでできている建物が教室らしい。確かに椅子と机が並んでいる。壁が無いので、雨が垂直に降る場合はしのげるかもしれないが、風が吹いたら勉強どころの騒ぎではないに違いない。待てよ、電気が無いから壁があったら暗くて勉強できないのかもしれない。それに水道も無い。良く聞いたらこの学校には本さえもあまり無いそうだ。う〜ん、日本とはなにもかもえらい違いだ。勉強したくてもできないのではないだろうか。  先生が用意してくれた昼食は予想以上においしかった。食事が終わるといよいよ作業開始である。  図書館の建設資金は、青年部の10周年積立金と日本塗装工業会北海道支部(永井冨美男支部長)からの寄付によるものである。日本塗装工業会では11月16日を「いいいろの日」と制定し、その記念事業として、新聞・ラジオを通じて一般の方からTシャツを集め、これをウエスに加工して得た収益金をそっくりNGOに寄付したのである。建物は私たちが現地に到着する直前に塗装工事を残すのみの状態となっていた。

 

 ここからは私たちプロ集団の独壇場である。さっそく材料の調合を・・・と思いきや、塗料缶の蓋が開かないのだ。日本の缶と形が違っている。缶を開けるのに教頭先生に手伝ってもらってやっと開けることができた。最初はもたついたが、その後の仕事はスムーズであった。担当部署の割り当てが済むと、あとはてきぱきと作業が進んでいく。その様子を子供たちや先生が見物している。試しに塗装ローラーを持たせると喜んで塗装しだした。村長さんまでもが真剣な顔をして塗装している。私は子供の着ている服が汚れるのではないかと心配したが、誰かが「ペンキついた服も記念になるしょ」と言ったのを聞いて、それもそうだなと思った。よくよく見ると、村長さんだけはまったく服を汚していないことに気がついた。「さすがは村長さん」と関心してしまった。 子供たちに塗り方のコツを教えると、みるみる上達していくのがわかる。日本に連れて帰ったらいい塗装職人になれそうだ。もしかしたら、これがきっかけで将来塗装屋さんになる子供もいるかもしれない。そんなことを考えているうちに下塗りがすべて完了し、本日の作業は終了となった。

 夜、隣村の学校の校長先生達が集まってきた。さながら校長会のようである。彼らの目的はというと、NGOのジャナロン氏がプーンサン中学校に来ているということを聞きつけて、陳情にやって来たのだという。どの学校も教育施設が不足しているらしい。  懇親会が始まり、私たちが2日はもつだろうと思って調達した6ダースのビールはあっという間に空瓶の山となってしまった。私たちはいろいろな方法で先生達とコミュニケーションを図ったが、なかには英語が話せる先生もいて、「原爆の落ちた広島には人が住んでいるのか?」とか「うちの学校はもっと貧乏なのにどうしてプーンサン中学校を選んだんだ?」などという返事に窮する質問まで飛び出した。和やかな内に宴会は続いたが、ただ一人、頼まれるといやと言えない性格のジャナロン氏だけは、今日だけで二十数件の陳情を受け、お手上げ状態に陥っていた。私たちは明日の作業のこともあり午後10時頃テントに戻ったが、その後も宴会は遅くまで続いたようである。

4.工期繰り上げはお手のもの

働き者の子供たち

 朝は朝礼で始まる。仏教国らしく皆礼儀正しく合掌してお祈りをする。校長先生の訓辞は言葉の意味がよくわからないが威厳に満ちている。昨日あんなにはしゃいでいた生徒達が皆直立して静かに話しを聞いている。私たちにもその緊張感が伝わってくるようだ。朝礼の最後に旭川塗装工業協同組合青年部はじめ札幌青年部の多くの仲間から集めた援助物資(ノート、鉛筆、運動用具など)を寄贈させていただいた。  朝礼の後、校長先生からまたしても予定外の情報がもたらされた。なんと、教育省の代表が図書館の除幕式のため午後2時に来られるというのだ。そのためにはなんとしても昼までに作業を完了させなければならない。ところが、そんなことでは動揺しないのが青年部である。工期が変更になるのはいつものことだ。図書館の塗装はみごとなチームワークによってどんどん仕上がっていく(子供たちに手伝ってもらいながら)。その間、女子生徒達は冷たい飲み物を運んでくれたり、私がほうきで掃除していると、そのほうきを取り上げて掃除してくれるのである。なんて働き者なのだろう。そういえば英語の先生に「昨日の宴会の後片付けは誰がやったんですか?」と聞いたところ「生徒です。」と答えるではないか。大人が酒を飲んだ後始末を子供にやらせるなんてとお思いの方もいると思うが、子供達は自分からすすんで掃除をしているらしいのだ。私がこちらに来てから、子供たちに対して感動の連続であった。そんな彼らのお手伝いのおかげで、昼前に工事は完了した。  そのころ野口会長のご子息優輔君は女子生徒からサイン責めにあっていた。男の子たちとはサッカーをしたり、やはり子供同士のほうがうち解けるのがはやい。

「盛大な祭りに」

 2月22日午後2時、いよいよ新築された「国際親善図書館」の除幕式である。先生、生徒そして私たち青年部が図書館の前に勢揃いした頃、教育省代表モンテイエン氏が到着した。「こんにちは、ようこそいらっしゃいました。」日本語である。予想もしなかったので誰もすぐに反応できない。私は日本語で話しかけられたのにもかかわらず、ちょっと間をおいて英語で答えてしまったのだった。モンテイエン氏はスピーチのなかで私たちに感謝の意を表すると同時に、地域全体の教育設備の改善についてまで言及された。私たちの行動がすこしでも刺激になったとしたら、ありがたいことだと思う。除幕はファンファーレが響くなかで、モンテイエン氏、野口会長、優輔君の3人の手で執り行われた。とても感動的なシーンであった。

 除幕式の前後に、村人たちが続々と図書館に集まり始めた。「今日は盛大なお祭りになるよ」 とジャナロン氏がアドバイスしてくれた。私は会計係なので今晩の宴会の心配をしなければならなかった。昨夜の数倍の人数が予想されたからである。こうして青年部の予備の現金は底をついたのであった。  学校内は村人で溢れかえっていた。私たちは、村人全員から幸福と旅の安全を祈願してもらうことになった。まず、花籠の周りに座るよう命ぜられ、村の長老のお祈りが始まる。日本のお経によく似た響きがした。やはりルーツが同じ仏教だからだろうか。長老のお祈りが終わると、今度は村人ひとりひとりから腕に1本ずつ糸を巻いてもらう儀式がはじまる。いつか糸が自然に切れたら願いがかなうのだそうだ。村人みんなの心が込められているようで、なにかとても暖かいものを感じたのは皆同じだと思う。

5.「人の幸せってなんだろう」

果てるともなく続く宴会

 儀式が終わると大宴会がはじまった。老人から赤ん坊まで村人総出のお祭りである。私たちもさっそく、日本のお祭りには欠かせない風船ヨーヨーの作成を開始した。これが子供達には大受けであった。音楽が始まると踊り好きな村人に手をひかれ、私たちも一緒にタイダンスを踊った。振り付けはどんな曲でもすべて同じなので、私たちにとっては楽である。  歓待していただいたお礼に、今度は私たちが歌を披露した。”上をむいて歩こう”など数曲歌ったあと、我が青年部の伊藤さん(伊藤塗工部)が留学生から習ったタイの歌を披露した。すると、村人から大合唱がおこり、歌にあわせて踊りが始まった。私たちもその踊りの輪に加わり、いつ果てるともなく宴会が続くのであった。

泣き出す生徒に送られて 

 いよいよ別れの朝がやってきた。ジャナロン氏は一足先に次の援助先へと旅立っていった。聞けば、彼一人で現在三十件以上の援助事業を抱えいるそうだ。しかも今年に入ってから奥さんとは2回しか会っていないらしい。私などはこの事業だけでかなり疲れてしまっているのに、まったく頭が下がる思いである。  朝礼の際、野口会長は生徒達へのメッセージとして、「この図書館でたくさん勉強して、村やタイ国のために役立つ立派な人になって下さい。」と挨拶。校長先生はじめ生徒達から感謝の言葉をいただいている頃、バスが到着した。出迎えてくれた時と同様に生徒がずらりと整列して、ひとりひとり見送ってくれた。感極まって泣き出す女生徒の姿も見受けられた。なんて素晴らしい子供たちなんだろう。素直で優しくて働き者ばかりなのだ。  別れの間際、女性の英語教師が私にぽつりと言った。「Don't forget me.」忘れないでね。そう、これで終わりにしてはいけないのだ。私たちはここで得た数多くの体験をたくさんの人に伝える義務があると思う。ここで終わったら単なる自己満足に過ぎなくなってしまうからだ。  滞在中、私たちは先生や子供達に何かをしてあげたというよりも、教えてもらったことのほうがはるかに多かったような気がする。礼儀を重んじる気持ち、感謝の心を持つこと、そして相手を思いやること。私たち日本人が忘れてしまっている心が、タイの小さな村には当たり前のようにある。「人の幸せってなんだろう?」仲間のひとりが言った。心を持ち合わせない物質だけの豊かさが何になるのだろう。バスが見えなくなるまで手を振り続ける子供たちを見ながら私はそう思った。  「さようなら。必ずまた会いにくるよ。チャイアサンのみなさん。」

  

*この事業を支援していただいたすべての皆さんに感謝します。


*協力して戴いた団体・企業 (社)日本塗装工業会北海道支部・札幌塗装工業協同組合・札幌昭和会・旭川塗装工業協同組合青年部・大日本塗料株式会社・大塚刷毛製造(株)・北海道地球市民の会・(株)北海道損害保険コンサルタント・ツアープラザノマド・カルビー

*ツアー参加者 伊藤雅彦(株式会社 伊藤塗工部取締役)・石橋文夫(有限会社 石橋塗装店社長)・中村直樹(株式会社 道央建装専務)・中山正人(株式会社 なかやま塗装社長)・野口優(株式会社 ニットク専務)・野口優輔(北嶺中学1年)・福田哲也(福田塗装 株式会社専務)・前田卓哉(札幌ペック 株式会社社長)・高久信治(高久塗工 株式会社社長)・栗原清昭(株式会社 誠塗装店社長)・中村達也(有限会社 丸中中村塗装店専務)小林修(有限会社 マルサダ小林塗工)


*この紀行文は平成11年3月に北海道建設新聞に連載されたものです。


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